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鳥類のうぐいすは茶色なのに鶯餅が緑色の理由

鶯餅(うぐいすもち)と言えば、毎年2月頃から全国の和菓子店やスーパー等で売り出される我が国を代表する春のあんこスイーツです。

ご存じの通り、黄緑色をしております。

しかしながら、実際に鳥類の鶯(うぐいす)は茶色です。多少緑がかっているようにも見えますが、少なくとも、広く現代において食べられている鶯餅の鮮やかな黄緑色とは似ても似つかぬ色です。以下の写真を見比べてみて下さい。

なぜ、このようなことが起こったのでしょうか?諸説あるのですが、通説となっているのが「昔の人が鶯とメジロを見間違えたから」という理由です。黄緑色でかわいらしいこのあんこスイーツを見て、メジロ餅と名付ければよかったところを、間違えて鶯餅と名付けてしまったという説です。しかしながら、この解釈には誤りであると考えられます。

確かに、鶯とメジロはどちらも小さくて可愛らしく似ていますが、一方は茶色で、もう一方は黄緑色です。以下、左がメジロ、右が鶯の写真(再掲)です。

そして何を隠そう、鶯餅の名付け親はあの豊臣秀吉です。弟である豊臣秀長が兄の秀吉を茶会に招いた際にこのあんこスイーツが出され、秀吉公がものすごく気に入ったことで、秀吉公から御銘を頂戴したということです。

さて、時の大将軍であり、大茶人であり、もちろん知識人でもあった秀吉公が、鶯とメジロを間違えるはずがありません。それより疑うべきは、この時、秀吉公に出されたあんこスイーツが本当に黄緑色だったのか?「鶯餅と名付けよ」と言ったかどうかはわかりませんが、秀吉公が喜んで鶯の名を冠するネーミングをされたということは、それは茶色かそれに近しい色だったのではないかと考えるのが妥当です。

秀吉の食べたそれは、実は黄緑色ではなく、きな粉色(黄土色か薄茶色)だったようです。なぜわかるのかというと、そのあんこスイーツは現代でも食べることができ、「御城之口餅(おしろのくちもち)」と呼ばれています。奈良県の本家菊屋という和菓子店様で作られているのですが、黄土色のきな粉がまぶされています。

出所:本家菊屋ホームページより

きな粉ですので、湿気などの関係からもう少し時間がたつと茶色がかってくることも考えられます。そんな茶色気味のお菓子を出されたのであれば、秀吉公も「鶯餅」と名付けて不思議ではありません。昔のことなので、そっくりそのままこのビジュアルだったかは不明ですが、少なくとも黄緑色の要素は全くないことがわかります。

こういった歴史を考えると、昔の人がメジロ餅と名付けるべきものを、間違えて鶯餅と名付けてしまったという説は考えにくいと言えます。

では、なぜ秀吉の時代にきな粉色(黄土色)だった鶯餅が、現代において黄緑色が定番となったのか?この要因を決定させる充分な資料や情報は現段階ではまだ見つかっておりませんが、おそらくきな粉の中でも、青大豆を使った緑色のきな粉がありますので、これがいつしか鶯餅にも使われるようになり、黄土色から少し緑がかった色に変化していったと言えるかもしれません。さらに、春をイメージさせる柔らかな色として、作り手も買い手も黄緑色やライトグリーンを求めるようになり、そこから徐々に拍車がかかって、現代の鮮やかな黄緑色になったのではないかと考えられます。

以上をまとめますと次の通りです。鶯餅の本来の色は、黄緑色ではなく、きな粉色(黄土色)だった。だから、茶色の鳥である鶯にちなんで、鶯餅と名付けられた。時は流れ、青大豆のきな粉が使われるようになり、鶯餅に少し緑の要素が加わった。さらに春らしい色を時代が求め、いつしか鶯餅は鮮やかな黄緑色に落ち着いた。以上のような考察となります。

現時点では推測部分を排除しきれないため、あくまで一説として捉えていただければと思います。ただ少なくとも「昔の人が鶯とメジロを間違えた」という少し乱暴にも思える説に比べ、史実に基づいていると言えるかと存じます。

以上何卒よろしくお願い申し餡げます。

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