羊羹は、その漢字が起源を物語っています。
「羹」とは“あつもの”と読み、スープのことを意味します。
古来中国より伝わった羊羹は、はじめ羊の肉や野菜をスープ状にした“あつもの”でした。
1300年~1400年頃、羊羹に小豆が使われ、羊肉のスープに見立てた精進料理として日本で広まったのです。
その後、徐々に汁気がなくなり、蒸羊羹が登場します。
そして、現在よく知られる寒天で作られた煉羊羹が生まれるのは、さらに後のことです。
一説によると、1599年には、天草と和三盆を使った羊羹の製法が考案されています。
しかしながら、寒天そのものの発祥を辿ってみると、1660年頃のことです。
薩摩の島津公が参勤交代の道中、伏見に宿泊した際に、旅館「美濃屋」の主人・美濃太郎左衛門が食膳に出したところてんの残りを外に捨てました。
すると、真冬の寒さで凍結と解凍を繰り返したところてんから水分が抜け、干物になったことで、寒天が発明されたと言われています。
この寒天の発明がそれまでの蒸羊羹に革命を起こし、練羊羹の誕生に大きく貢献したことは言うまでもないのですが、現在見つかっている、練羊羹の存在がはっきりと記された古文書は1773年に加賀藩主によって書かれた江戸在府中の日記「大梁公日記」です。
そこには確かに、「ねりやうかん 半分」と記されています。