• UPDATE

和菓子小史 その参 近世~現代編

こんにちは。食欲の秋、到来ですね!

あんこが入った甘~い和菓子は、どの季節に味わっても美味ですが、秋はさらに味わい深く感じられるのではないでしょうか。

さて、このコラムも3回目となり、今回が最終回です。

今回は、江戸時代から見ていきたいと思います。

和菓子の隆盛を極める江戸時代

戦乱が続いた時代が終わり、江戸時代(1603~1868)に入って泰平の世になると、和菓子作りも盛んになりました。

それまでは希少な輸入品だった砂糖も、国内でサトウキビの栽培が奨励されるようになり、流通量が増加し、菓子作りに用いられるようになります。

慶長・寛永年間(1596~1645)頃からは、和菓子に「銘」がつけられるようになりました。

元禄年間(1688~1704)の頃にもなると、和歌や物語といった古典文学、古代から続く年中行事、四季折々の風情などが、菓子の意匠や銘のなかに取り込まれて、さまざまな和菓子が作られるようになりました。

前回のコラムでも書かせていただきましたが、そもそも和菓子は、茶席の菓子として発展してきました。

そういった和菓子は、京都でさらに風流なものへと進化していきます。

そして、その京都の菓子は、江戸を中心とする関東地方において、「京菓子」と呼ばれるようになりました。

京菓子のうちの一つが、江戸時代前期に作られるようになった「上菓子」です。

上菓子とは、高価な白砂糖を使った菓子のことで、朝廷・幕府・公家・大名・大寺院などへ献上されました。

関東の江戸のことも忘れてはなりません。

江戸時代に入り、江戸が政治・経済・文化の中心地となっていきます。

やがて江戸でも上菓子が作られるようになり、京都と江戸の菓子店が競い合うように、銘や意匠に工夫を凝らした上菓子を作っていきました。

元禄6年(1693)に初版された『男重宝記(なんちょうほうき)』という本には、約250種類もの和菓子と銘が紹介されています。

この『男重宝記』は、江戸時代の男子が日常生活で心得ておくべき教養について記しており、町民から武士まで多くの人々に読まれていました。

和菓子の種類が豊富であったことを知ることができるとともに、当時の男子にとって、和菓子が必要な教養とされていたこともわかります。

また、亨保・安永・天明年間(1716~1789)頃になると、江戸では、庶民の文化が高まり、桜餅、金つば、大福餅などの菓子が、日々の生活のなかから、作り出されていきました。

ところで、江戸時代には、街道ができ、交通網が整備されたため、参勤交代する諸大名をはじめとして、庶民層など、多くの人々が旅をするようになりました。

京・大坂・江戸の三都、日本中の城下町や寺社の門前、行楽地、都市、街道など、人が集まる場所では、名物として菓子が売られるようになり、人々はそれを味わいました。

明治時代、西洋化する和菓子

そして、いよいよ近代に入ります。明治時代になると、西洋の文化が伝わり、和菓子にも影響を与えました。

とりわけ、調理器具としてオーブンが用いられるようになったことは、大きな変化で、それによって栗饅頭やカステラ饅頭などの焼き菓子類が誕生しました。

和菓子は、素材や製法が同じでも、色味や季節、銘を変えれば、別の菓子として完成します。

テーマにもとづいて作り出された和菓子は、芸術作品とも言うことができるでしょう。

このコラムで見てきましたように、古代から長い年月をかけて発展してきた和菓子は、現代にまで受け継がれている日本の文化です。

近年では、有名和菓子店も海外に出店していますし、日本を訪れる海外からの観光客も増えています。

和菓子、そしてあんこが海外にますます広まっていくと、いいですね!

本コラム全3回を読んでくださり、ありがとうございました。

コラム執筆者

榊原史子。あんこ・和菓子を愛してやまない日本史研究者にして日本あんこ協会認定あんこ女子(あんバサダー)。謎とロマンがいっぱいの古代史を専門とし、聖徳太子や聖徳太子信仰について考えた論文などを発表してきた実績をもつ。手作りお香の薫物屋香楽認定香司の有資格者である。ツイッター→https://twitter.com/ayanochan0912

あんこ女子検定

あんこ男子検定