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和菓子小史 その弐 中世編

薯蕷饅頭

皆さんの好きな和菓子は、何ですか?

あんこが入った甘〜いお菓子でしょうか?

かく言う私も、その一人です。

現代の和菓子にとって、あんこの存在は、不可欠なものではないでしょうか。

しかし、小豆で作られたあんこに砂糖が入り、それが和菓子に使われるようになったのは、中世以降のことです。

今回は、中世の和菓子について見ていきたいと思います。

和菓子の発展と餡入り饅頭の誕生

鎌倉時代に入ると、 宋に留学し、日本に帰国した僧侶たちが、新しい食文化を伝えました。

それは、茶を飲む習慣と、点心です。

お茶は、奈良・平安時代に遣唐使によってもたらされましたが、鎌倉時代の1191年に、栄西が宋から茶の種を持ち帰ったことから、本格的な栽培が始まったとされています。

そして、室町時代に入り、茶道が盛んになると、茶席で菓子が一緒に味われるようになり、和菓子の発展につながっていきます。

茶道

次に、点心についてです。

中国では、定時以外の軽食を点心と呼びました。

その点心が、朝夕二食が基本だった当時の日本に伝わると、軽い昼食として普及し、室町時代の茶席でも、点心が提供されるようになりました。

さて、点心には、羹類、麺類、饅頭類、餅類などがありました。

羹(あつもの)は、汁で、48種類もあったと言われていますが、そのうちの一つが「羊羹」です。

羊羹は、羊の肉が入った汁でしたが、日本には肉食の習慣がありませんでした。

そこで、麦などの粉で羊の肉をかたどったものを入れ、蒸して調理しましたが、それが「羊羹」の元祖と言われています。

点心

そして、いよいよ「あんこ」です!

「あんこ」とは、「餡(あん)」のことであり、餡は、中国語で「食べものの中身として詰めるもの」という意味の言葉です。

中国では、饅頭に塩味のひき肉が詰められていたと考えられていますが、日本では肉食の習慣がなく、まして僧侶たちは肉食が禁じられていました。

では、日本では、何を餡としたのでしょうか?

現代あんこの誕生

それが小豆でできた甘い餡でした!

この甘い餡を考案したのは、南北朝時代の1349年に中国から日本にやってきた林浄因だとされています。

奈良に住むようになった浄因は、肉食が許されない僧侶のために、肉の代わりに、小豆を煮詰め、甘葛の甘味と塩味を加えて、饅頭の中身、すなわち餡を作り、これを饅頭の皮に包んで蒸し上げたと伝えられています。

薯蕷饅頭

この饅頭は、寺院に集う上流階級に大評判となり、淨因の饅頭は、後村上天皇に献上されるまでになったと言われています。

現在の私たちがイメージする小豆からできた甘い餡入り饅頭の誕生です。

林浄因が使った甘味は、日本で古代以来使われてきた甘葛だとされています。

砂糖は、奈良・平安時代には、遣唐使によって少量ずつもたらされるのみで、ごく一部の上流階級が、薬用として珍重していました。

鎌倉時代末頃から、中国との貿易が盛んになり、砂糖の輸入量も増えましたが、砂糖が日本で栽培されるようになるのは、江戸時代に入ってからのことです。

この時代に至って、庶民は砂糖を手に入れやすくなり、砂糖を入れて小豆で作った甘い餡が、さらに普及していきました。

今回見てきたように、中世に入ると、茶道が隆盛し、それにともなって、和菓子を作る技術も発展し、趣向を凝らした和菓子が作られるようになりました。

また、中間食としての点心から、和菓子へと変化した饅頭に、小豆を使った餡が入るようになりました。

そして、砂糖も徐々に普及するようになっていったことから、小豆を使った砂糖入りの甘~いあんこが誕生し、広まっていったのでした。

さて、次回のコラムでは、江戸時代以降の和菓子について見ていきたいと思います。

コラム執筆者

榊原史子。あんこ・和菓子を愛してやまない日本史研究者にして日本あんこ協会認定あんこ女子(あんバサダー)。謎とロマンがいっぱいの古代史を専門とし、聖徳太子や聖徳太子信仰について考えた論文などを発表してきた実績をもつ。手作りお香の薫物屋香楽認定香司の有資格者である。ツイッター→https://twitter.com/ayanochan0912

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